ガルシア=マルケス『100年の孤独』を再読する。

1月4日

2日からぼちぼち読み始めて、今半分ちょっと。

ウルスラ母さんを起点にしたとして、只今、四世代が混在している状況。おまけに「ホセ・アルカディオ」系と「ブエンディーア」系の名前が繰り返し子息に命名されるので、読書を中断し再開する段になると、手製の系図なしには物語に追いつかない。

もはや、この読書を継続していられる要は、100歳を超したウルスラ母さんが存命だから。そして、この一族がこの街(マコンド)を開拓し、居を定めた時代のノスタルジーが、所々に想起させられるから。そして、戦争以降の子孫の惚れた腫れたの繁栄はあまりにも日常茶飯。

 

ジプシーのメルキアデスが街にもたらし、曾祖父ホセ・アルカディオ・ブエンディーアが虜になった三つの「科学」

磁石

この棒を持って街を歩くと、家々の鍋から昔なくなった物までが転がるように追ってきて、釘と木材は悲鳴を上げる

「物にも命がある。問題は、その魂をどうやって揺さぶり起こすかだ」

 

レンズ

「科学のおかげで距離なんてものは消えた。人間が地上のすべての出来事を、居ながらにして知ることができるようになるのも、そんなに遠いことじゃない」

 

(注。このときメルアデスは一旦死んでいるので、正確には別のジプシーのテントにて氷の塊を初めて前にして)

「こいつは、世界最大のダイヤモンドだ」

「冗談じゃない

 氷ってもんだ、これは!

 さわりたけりゃ、もう五レアル出しな」

「煮えくり返っているよ、これ!」

「こいつは、近来にない大発明だ!」

 

 

1月5日

「鉄道」がやってきた。むかしは、街にやってきて人々を驚かせたのは、ジプシーであり、サーカスだったが、「鉄道」はあらゆる利器をもたらして、街に流れる時間を速くしていった。バナナが、バナナに目をつけたアメリカ人が、広大なバナナ農園を展開し、そこに多くのよそ者がやって来た。好景気に湧いた。その間に、小町娘のレメディオスは、中庭に干したシーツと一緒に一息の風とともに天空へ昇天していった。ウルスラは百をとうに越していたが健在で、右手を壁に沿わせて家中を歩き回っていたが、実はそれが、ほとんど盲目であったからだということに気付く者は、結局だれもいなかった。アウレリャーノ・ブエンディーア大佐は、この狂乱に業を煮やして、再び若かりし頃の反乱を企てたが、誰にも相手にされず、魚の金細工を25個作っては溶かし、再び作るという日々を繰り返し、ある日栗の木の下で息絶えた。

 

 

1月8日

四年十一ヶ月と二日間、マコンドに雨が降り続いた。雨は、あの不眠症が伝染した時のように、人々を無気力にさせた。時間は流れながらも、その実、静止しているようだった。放蕩の限りを尽くしていたアウレリャーノ・セグンドも、憑き物が去ったようにおだやかな日常を送るようになったが、その暮らしぶりは覇気が感じられないものでもあった。ウルスラは耄碌状態ではあったが、しぶとく生き続けていた。雨がようやく止んだ時、彼女は再び覚醒し、家の修繕にとりかかった。

それにしても、まるでこの家は生き物のようだった。手の付けようもないほど荒れ果てて、これ以上無理だという限界がやってくると、誰か一人がが驚くべき気力であちこちの綻びを立て直した。この物語においては、たいてい乱痴気騒ぎか無関心で家をぼろぼろにさせるのは代々の男たちで、家は、まるで共犯であるかのように自分の姿を何通りにも変化させるのだった。その家に挑み、抗おうとしたのは、ウルスラをはじめとして、それぞれが別の頑固な一面を持ち合わせた、代々の女たちだった。

 

 

1月11日

家系の出来事を辿っていくと、遂にそれはひとつのまん丸な円環となった。

輪になった途端に、きれいに消滅してしまった。

「アウレリャーノ」の名を持つ最後の男が、孤独のために知に引き戻されたとき、すでに消滅の現象が接近していた。それは、竜巻のような螺旋を空に描いて、この男ひとりの身体と記憶を通して引き起こされる、長年の謎解き(エニグム/カタルシス)を無数に引き起こしたのだった。

この円環の閉じられは、生にどん欲であったが死にはあまりにも素っ気無かった、この家系の気質を顕しているかのようであった。

 

一、二、三、四、五…。人数が増える程に、関係性や役目が複雑に絡み合う。時間の流れとともに、この人数は増えたり減ったりするが、常に変わらないのが一という数字。

孤独とは、ロンリーではなく、ソロ。(via桜庭一樹)

 

読了。