三人目のピカソ

市バス 59系統の自動ドアが開いた。

すでに車内の雰囲気は、明らかな緊張感があった。

ドアの真ん前に座っている人物が、どうやらことの中心のようだった。

わたしは、その人物のすぐ前の座席に座る。

 

その人物は、老人だった。タンクトップを着ていて、とても大柄。堂々と座席に座り、右手は前の座席の背もたれに手を掛け、左手はビニール傘とウチワ、ビニール袋を持っていた。

さっそく、突発的な音声が発せられた。続けざまに、車内の後ろの方からも同じテンションの音声が発せられた。

意味合いのない明確な声が呼応する。くしゃみのように突発的で、あくびのように気が充分に充ちているので、それはとても楽しげで、気分が高まる。

 

その人物は、外国の人だった。そして、どうやら認知症か何かをもってらっしゃるようだった。また、その堂々とした態度は明らかに威厳があった。タンクトップからのぞく腕は、その皮膚は衰えているが、骨格は頑丈そのものだった。ほとんど裸であっても、王様という肩書きが腑に落ちる人物だった。

 

後部座席にも外国人らしき人々がグループで座っていたので、おそらく何かの団体なのだろう。しかし王は孤高の存在で、ドアの前の一人席に堂々と座している。八十もとうに過ぎている(だろう)に、この遠征とは。

 

 

わたしはわざとらしく扇子を扇いでみたり、窓に映った王の様子、背後の気配を察知しようとする。好奇心が抑えられず、何か付けて後ろを振り向き、王の様子を伺った。 

 

わたしはこれまで二人のピカソに出会ったことがある。

一人目はバルセロナ。“パレルモの森”とかいう名の食堂に、わたしは滞在中毎日ランチに訪れた。するといつもピカソ氏はいた。パッションピンクのラガーシャツとDIORの眼鏡がとても良く似合っていた。2人席のいつも同じ場所に座り、ランチと赤ワインを摂っていた。

もう一人はバスクビルバオ空港からバスでビトリア=ガスティスへ向かう車内。勝手が分からず困っていたところを、言葉少なにバス代をおごってくれた。

 

 

この日、偶然にもまたお会いできたこのピカソ氏は、先ほどの急な大雨のため買ったばかりなのであろうビニール傘のひもを、不器用に丁寧に一周して留めようとされている。そのおぼつかない手もとを、わたしはじっと見ていた。その作業が終わった後、王ピカソは、ニコリともせず、表情の読めないままの顔で、ゆるぎない視線を送り返した。