ケージとショパン
わたしはジョン・ケージに特別詳しいわではありませんが、思い返せばこれまで、ジョン・ケージへ敬意をいだく人たちと良き出会いをさせていただいてきた。
土曜日に、ご近所のサウンドアーティスト吹田哲二郎さんのお家にうかがい、現漢籍でジョン・ケージについての立ち話をしました。そして、9月に鳥取県立博物館の「大きのこ展」の関連イベントとして行われた、ケージのコンサートのプログラム冊子と、最近収録されたCD「American Experiments」’if’ piano duoをいただきました。
それらの貴重な資料から、
響き
ノイズ
おと
聴くこと
立ち居る(ポジション)
とはどういうことなのかと改めて思いました。
吹田さんの文章によると、ダンスのための曲をピアノで作曲をしていたケージは、どうしても打楽器的な曲ができない、ということに気付き、その原因は楽器にあると結論づけ、プリペアド・ピアノを考案したそうです。ピアノという自明の楽器をも再考し、新しい楽器に作り替えてしまうなんて!
翌日曜日に、昔のピアノの先生からのお誘いで、ショパンのピアノコンサートへ行ってきました。前日に、わたしは一時的とはいえ、ケージ的な土壌にちょっぴり浸っていたので、このコンサートは考えざるをえませんでした。
ショパンの音楽を聞いて、
主旋律とリズム(伴奏)
バッハみたいな旋律と旋律の追いかけっこ、その呼応
教会音楽みたいな和音、そして後のドビュッシーみたいな和音、響き
メロディーを盛り上がらせるための装飾、効果音
など、段落ごとに色々な構造があるように思いました。
で、ショパンという人は、どうも効果音的な語りが多いような気がしました。それで、それっていうのは、とてもピアノと相思相愛ななかから生まれたのかもしれない、という気がしてきました。
とても素晴らしい演奏だったのだけれども、有名な「別れの曲」のほんの一瞬、ちょっとだけ音の配列が狂った瞬間、ミステイクともいえないその出来事に、演奏者の細やかな指使いに、その身体にはっとさせられた。
また、俄に聴くということにカブレて、休憩を挟みながら前方右側、前方左側、後方右側の3カ所の座席で聴いてみました。
前方右では直接的すぎる気がして、左はそれがましで、後方右は響きがより聞こえる気がしました。やたらと縦長のホールで、結果的にどこがいいかはよくわかりませんでした。チェスゲームの駒になったみたいに、自動椅子で、がちゃがちゃと座席が入れ替わったらおもしろいのになあと勝手な妄想をしました。